以下の文章は、私が懇意にしているコンサルタントの宇井克己氏によるものです。少し長いですが紹介します。
(前略)で、その新入社員研修をしていて、たまに、こう思わされる新入社員がいるんです。『あぁ、この子、仕事し始めたら、ちょっと苦労するかもなぁ』って。先日も、そんな女子社員がいました。
新人研修でグループディスカッションをしてもらっていたときのことです。仮にその女子社員をAさんとしましょう。Aさんは、そのグループディスカッションで書記を担当していました。6人で囲んだ机の真ん中にA3用紙を置いて、メンバーから出される発言内容を書いてくれていました。
が、ある漢字が書けなかったようなんです。それを見て、対面に座っていた男子社員が、「りっしんべん書いて、右側に・・・」って教えてくれていました。が、やっぱり書けない。で、結局、Aさん、「まぁいいや」って言って、諦めて平仮名で書いちゃったんです。
その様子を横から見ていたんですが、なんとなく投げやりな感じが見受けられて、Aさんに、つい言っちゃったんです。「そこ、もういいや、じゃなく、せっかく教えてくれているんだから、ちゃんと書こうよ」って。
そうしたら、Aさんが、私に向かってこう言ったのです。「別に、この議論に重要なことじゃないですから!」
確かにおっしゃる通りです。このグループディスカッションにとっては、漢字が書けずに平仮名で書いたからといって、全く影響ありません。Aさんが正しい。しかし、しかしです。
私、まがりなりにも講師という立場ですし、年齢的に言っても25歳以上も年長者なわけだし・・・正直、その言い方、可愛げがないよなぁと感じてしまったわけです。
確かにAさんの言っていることは、正論ですよ。でも、正しいこと言っていても、自分の立場を踏まえないとか、逆に相手の立場を踏まえないとか、言い方の問題だとかで、相手にネガティブな感情を抱かせてしまうことってありますよね。これ、新入社員だけじゃなく、気を付けなければいけないことではあると思います。特に新入社員は、このあたり特に気を付けなければいけないと思うんですよ。周りからの評価が、その新入社員の将来を決めてしまうことありますから。無駄に嫌われる必要はないと思います。(後略)
私は常々、「正論は人を傷付ける」という話をしています。まさに、その典型ともいえるエピソードです。人を傷付けるということは、自分をも傷付けるということです。私も講演や研修といった仕事をしていますので、同じことを感じることがあります。
昔、コピーライティングの研修時に例文を挙げて、「例え話の有効性」について解説していたところ、参加者のひとり(女性)から「何か騙されているような気分で、私は嫌いです」と食って掛かられたことがあります。「騙されているような…」は個人の主観(感情)であり、それを否定するつもりはありません。きっと、彼女にとっては正論なのでしょう。しかし、その主観を盾にとって議論するのは建設的ではありません。
プライドやこだわりを持つことは重要です。これらを持たない人は、周りから尊敬されません。ただ、些末なことに変なこだわりやプライドを持つのは避けたいものです。塾(特に中小・個人塾)の経営者の中に、無用なプライドやこだわりによって自らを硬直させている人を見掛けます。「もったいないなぁ~」と思います。本当のプライドやこだわりはコアの部分、学習指導のど真ん中にこそ持っていて欲しい。周辺部分(たとえばマーケティング)には柔軟であってほしい。
譲れないコアを守るために、周辺部分には柔軟であれ!
ちなみに宇井氏は新入社員に必要なのは『可愛げ』だと言います。先輩から可愛がられる社員は伸びると言います。これって、塾人にも通じる資質ですよね。顧客(保護者)から可愛がられる塾人は伸びます。可愛げがなくて塾経営を失敗した私が言うのですから、間違いはありませんよ。