10月23日(日)に名古屋の名大スカイさんの四軒家校にて「つむぎサロン」が開催され、私もオブザーバーとして参加しました。地元の塾経営者が中心に集まるかと思っていたのですが、遠く鹿児島から、群馬からと遠方から参加された方が多く、勉強熱心な塾経営者の集まりになりました。その中で、ある先生から「成績は上がるがつまらない塾と、楽しいが成績は上がらない塾のどちらを目指すべきか」という問題提起がありました。もちろん、「楽しくて成績が上がる塾」が理想であることは重々承知の上での問い掛けです。この場合、どちらに軸足を置くべきかという経営者としての理念、覚悟が問われています。
私の答えは明確です。「つまらなくても成績の上がる塾」です。業界が拡大発展を続け、「補習」がニーズの大半を占めていた時代は「楽しいが成績は上がらない塾」でもビジネスとして成立していました。なぜなら、当時の総中流社会では「落ちこぼれないこと」が最重要課題だったからです。たとえ成績は上がらなくても、平均点付近に位置していれば満足する家庭が多かったのです。
ところが今のような「2対8の法則社会」(パレートの法則社会)では、たとえ平均点付近に位置しても意味がないと考える家庭が増えてきます。上位2割を目指すことが重要だと誰もが意識し始めます。すると、楽しいが成績が上がらない塾は選択肢から外されてしまいます。塾に対する要求は狭義化し、まずは子どもの成績を上げてくれることを保護者は望むようになります。それが塾に対する必要条件です。「楽しさ」を求めるならば、塾ではなく別の手段を考えます。
ただ、それはあくまでも必要条件であり、充分条件ではありません。そこに別の付加価値が必要になってきます。人は、二つの条件を満たしたものに反応するという性質を持っているからです。例えば自動車の場合、ただ走るだけの自動車ではなく、環境に優しく走りも快適な…いわゆるエコ・カーが人気になります。塾の場合も「成績が上がる」という必要条件だけでは足りないのです。消費者の意識としては「塾なんだから成績を上げるのは当たり前」ということです。そこに別の付加価値が必要であり、そこに塾の個性が表れます。
「楽しい」ということは充分付加価値になります。ただし、気を付けなければならないのは、娯楽的な楽しさ(fun)ではなく、学問的な楽しさ(interest)を提供しなければならないということです。繰り返しますが、客(保護者)は塾に娯楽的な楽しさを求めていません。また、学問的興味を提供することは子供たちにとっても有益であり、悦楽的楽しさよりもはるかに求心力が高いものです。「今日の授業で何が飛び出すだろう」というワクワク感を持って子供たちに通塾させたいものです。
そのためには、教科書や問題集に載っていることだけを教えていたのでは難しい。その周辺にあるドラマを含めて指導者が予習をする必要があります。島原の乱を教える時に、「この時、天草四郎16歳。今の君たちと同世代だ」という解説を加えることです。素数を解説する時に、「素数が無限にあることは紀元前3世紀の数学者ユークリッドが証明している」と付け加えることです。(本来ならば、現在発見されている最大素数を披瀝したいところですが…ウン百万桁の数字を表示するのは物理的に不可能です)
少なくとも、塾教師が「塾教師として想定される範囲内の指導」をしているうちは、塾の評判を作ることは難しいでしょう。(他塾を圧倒する成績向上や進学実績を実現しているのでしたら別ですが)
中小・個人塾の教師の多くが、「教えるべきことは全て分かっている」と油断し、授業の予習を疎かにしています。でも、だからこそ、予習に力を入れ、常に興味深い授業を展開している塾が支持を集めるのです。1授業1つで構いません。子どもが「ほう!」と感心し、帰宅後に保護者に対して「今日、塾の先生がね…」と話したくなるようなネタを仕込むことです。そうした毎日の地道な積み重ねが塾の評判を高めていきます。
ぜひ、「楽しくて成績の上がる塾」を追求してください。