モリモリ元気レポート[96] -つむぎクラブ掲載文より

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森智勝氏

泣けた~。久々に号泣しました。長島さんの国民栄誉賞の授賞式。人気取りだとかパフォーマンスが過ぎるとか安倍総理を揶揄する向きもありますが、我々1959年以前に生まれた日本人は全員が今回の受賞を支持していると確信しています。四国の地方都市で少年期を過ごし、ONに憧れて野球に夢中だった私には、2013年5月5日は忘れられない日になりました。特に王さんが花束を渡す時に長島さんと抱き合う姿…ダメ、また泣きそうです。ONファンとしては、国民栄誉賞はこれで打ち止めにしてほしい。Oで始まりNで終る…無理な注文とは判っていますが…。

松井さんにも感謝です。彼の日米での活躍がなかったら、長島さんが元気な間の受賞はなかったかもしれません。死後贈与では我々長島ファンは許せなかったと思います。「なぜ、生前に贈与しなかった」と怒りが爆発して暴動が起こったことでしょう。

今回の授賞式の様子を見て、あらためて松井さんの人柄、お二人の師弟関係の素晴らしさに感じ入りました。あの絆はどうやって築かれたのでしょう。

報道によると、あの「松井四番バッター千日計画」の中で、一度だけ松井さんが弱音を吐いたことがあったと言います。連日の素振りで血豆が割け、バットを持つ手に力が入りません。両手から吹き出す血が手袋から滲み出てくるくらいです。しかし、そんな日も長島監督(当時)は妥協を許さず、納得のいく音がするまで素振りをさせたそうです。素振りをする方も辛いが、させる方も辛い…そんな濃密な二人だけの体験、時間が、あの強い絆を紡いだのでしょう。晴れの授賞式にも関わらず、常に長島さんを気遣い、退場の時にも後ろから影のように付いていく松井さん。不自由な右半身を隠すこともなくゆっくりと、しかし凛として歩む長島さん。今でこそほのぼのとした師弟愛の象徴のように見えますが、そこには殺気すら飛び交う修羅、それも与えられた受身のものではなく、自ら作り出した修羅場の存在があったことを疑いません。

今、学校現場では教師と生徒との間に師弟関係は存在しません。師であることを放棄した教師たちは子どものレベルまで降りてしまい、今では「おともだち先生」が氾濫しています。子どもからアダ名で呼ばれて、自分は人気のある教師だと悦に入っています。

我々はビジネスとして塾経営をしていますから、基本的には繁盛するためなら「何でもあり」だとは思います。生徒の人気取りをして繁盛するなら、それでいいでしょう。しかし現実は、子どもに遠慮して妥協を重ねている塾よりも、嫌われることも覚悟して厳しい指導をしている塾の方が支持されています。世間は、ちゃんと本質を見抜いているのです。

私は以前、吉田松蔭の例を挙げて、教育者の理想を説いたことがあります。「自分の事績ではなく、弟子たちの事績によって評価されることが教育者の本分だ」と。その考えにはいささかの変化もありませんが、その覚悟で当たれば、必ず真意を判ってもらい支持されると確信しています。

あなたが「長島さん」になって、多くの「松井さん」を育てられることを切に希望します。数多くの「松井さん」が日本の将来を支え、切り拓いていくことを信じているからです。

野球に興味のない方、アンチ巨人の方、ゴメンナサイ。今回は私の個人的思いのまま、このコラムを書いてしまいました。切にご容赦願います。

 
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