モリモリ元気レポート[89] -つむぎクラブ掲載文より

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森智勝氏

教育は2つの視点で語られなければなりません。1つは言うまでもなく「教育を受ける子どもの視点」です。そして、もう一方は「教育を施す社会(大人)の視点」です。教育は未来の国づくりですから、我々大人が「どんな社会を築きたいのか」という理念に基づいて教育を考える必要があります。その末端にでも我々塾人が存在する以上、その責任から逃れることはできません。

今、日本は中国・韓国との領有権問題で揺れています。いったい、我々は日本をどこへ運べばいいのでしょうか。そして、子供たちに今、どんなメッセージを送るべきなのでしょうか。浅学の私には思い付く言葉がありません。そんな時、とある賢人から故司馬遼太郎氏の文章を教えていただきました。司馬氏が自著「この国のかたち」を紹介する文章です。

「この国のかたち」について-司馬遼太郎-

六部が三十余年、山や川、海などを巡って思わぬ異郷に辿り着いた時、浜辺で土地の者が取り囲み、それぞれに口をきく。「いずれより参られしか」…そんな狂言があったと仮定されたい。

「日本…」と六部が言っても一向に通用せず、ついには様々に手まね身振りで説明し、挙句の果て、砂地に杖で大小の円を描く。さらには三角を描き、雲形を描き、山の如きもの、目の如きもの、心の臓に似たるもの、胃の腑かと思われるものを描くが、人々了解せず、「そのような国、今もありや」と聞く。すでに日落ち、海山を闇が浸す中で、六部悲しみのあまり、「あったればこそ、某(それがし)はそこから来まいた」

しかしながら、あらためて問われてみればかえっておぼつかなく、さらに考えてみれば、日本がなくても19世紀までの世界史が成立するように思えてきた。

となりの中国でさえ成立する。大きな接触と言えば13世紀に元寇というものがあったきりで、それも中国にとってはかすり傷程度であった。もし日本がなければ、中国に扇子だけは存在しない。が、存在の証明が日本で発明されたとされる扇子だけということではか細すぎる。

ともかく、十九世紀までの日本がなくても、ヨーロッパ史は成立し、アメリカ合衆国史も成立する。ひねくれていえば、日本などなかったほうがよかったと、アメリカも中国も夜半、ひそかに思ったりすることがあるのではないか。しかしながら今後、日本のありようによっては、世界に日本が存在してよかったと思う時代がくるかもしれず、その未来の世の人たちの参考のために、とりあえず、六部が浜辺に描いたさまざまな形を書きとめておいた。それが、「この国のかたち」と思ってくださればありがたい。(1990年文芸春秋より)

今、隣国の振る舞いに腹立たしく思っている日本人は多いことでしょう。過激な報復策を講じるべきだと主張する人もいます。しかし、最も効果的な「報復」は司馬氏の言う「世界に日本が存在してよかったと思う時代」を作ることなのではないでしょうか。司馬氏がこの文章を上程してから二十余年、我々はまだそんな日本を作り上げることに成功しているとは言い難いようです。だからこそ、我々の眼前に存在する「未来の大人たち」に期待します。

もしかしたら、教室で「領土問題」という難解な質問を受けることもあるでしょう。ぜひ、その時は司馬遼太郎氏の「思い」を紹介して、「君達が日本最高の歴史小説家に期待されていること」を教えてあげてください。そんなことでも、子ども達の学習意欲は高まるのだと信じています。

 
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