モリモリ元気レポート[22] -つむぎクラブ掲載文より

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森智勝氏

長年の無理が祟ったのか、日頃の不摂生が悪いのか、突然「声」が出なくなり、医者から2週間の「無言の行」を命じられてしまいました。声帯が悲鳴を上げたようです。内視鏡を鼻から入れられる不快感は耐えられますが、3度の飯よりしゃべることの好きな私にとって「しゃべるな!」はどんな拷問より辛い。最も辛かったのは依頼を受けていた講演を1つキャンセルしてしまったことです。もし、読者の中に該当セミナーの参加者がいらっしゃるのでしたら、あらためてお詫び申し上げます。

やっと医者の許しが出たのですが、話すことを仕事としている以上、今後も起こり得る「職業病」のようなものだそうです。もっと穏やかに話すことを勧められましたが…それでは私が私でなくなる。このまま続けていると「明石屋さんま」さんのような声になってしまうと脅されましたが、覚悟の上、行けるところまで行くことにします。(もちろん日頃の養生には努めますが。)

さて、元気レポートには似つかわしくない話題から始めてしまいましたが、今回のテーマは「命の尊さ」です。教育現場で悲しい事件が続いていますね。いじめを理由とする自殺が相次いでいます。何か、周期的な流行(はやり)のようでゾッとします。しかし、なぜ同じことが何度も繰り返されるのでしょうか。私はその原因が「いじめをなくそう」というスローガンにあると考えています。言霊の国、日本では「いじめをなくそう」と言っていれば「いじめがなくなる」と考えてしまいます。ですから、結局、スローガンだけで終わり、何も有効な対策が採られないのです。挙句の果ては「いじめのない学校」が評価され、学校の「隠蔽体質」を増長してしまいました。

そろそろ気付くべきです。いや、認めるべきなのです。「人間社会でいじめはなくならないこと」を。それを前提として「いじめられた子が死ななくて済む」方策を考える必要があるのです。

例えば親は常日頃から「学校なんて行きたくなければ行かないでいいよ」と言い続けるべきです。勉強なんかどこででも出来ます。また、社会はそうした子供たちのための受け皿であるフリースクールを充実させ、認知すべきです。

また、学校は「命の尊さ」を教えるためにフナの解剖やカエルの解剖を復活させなければなりません。人は殺傷経験を通してしか「命の尊さ」を実感することはないのです。したり顔で主張する「動物愛護者」の勢いに負けてはいけません。我々は他の動物の命をもらって生きていることを教えるべきなのです。「すべての生き物の命は尊い」という美辞麗句に惑わされてはいけません。「命の尊さ」ではなく「人の命の尊さ」と「生きることの罪深さ」を教えることが重要なのではないでしょうか。その意味で日本人が戦後に宗教を捨てたとき、同時に大切なものも一緒に捨ててしまったのかもしれません。

少なくとも塾の現場では「いじめ」やそれを原因とした犠牲者が出ませんように…。

 
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