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塾・新時代のマーケティング論(93)
筋肉質の社員・筋肉質の組織を作ろう!

森智勝氏

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 先日、縁あって某大手企業を訪問しました。社員のモチベーションが下がっているので相談に乗ってほしいとの要請です。会議室で最初に見せられたのが、社員の意識調査報告です。見ると、「全世界企業平均以下」の社員が6割以上という結果でした。この企業もリーマンショック後に大規模なリストラを敢行し、その影響が今も続いているとのことです。訪問日は週に一度の「早帰日」で、午後6時には全ての社員が退社していました。何でも、業界内の協定があり、それに基づいた措置らしいのですが…。

 日本の経済が縮小均衡に陥っている実態を目の当たりにした思いです。

 ウエイト・リフティングの選手の二の腕は、我々一般人の数倍の太さがあり、腕力もそれに比例しています。選手の筋肉と我々の筋肉の細胞数はどれだけ違うのでしょうか。ご存知の方も多いと思いますが、細胞数は同じです。1つ1つの細胞が大きくなって、あの筋骨隆々の二の腕を形成しています。企業の組織力を考える時も、同じ理屈が成立します。一人ひとりの能力を高めることで、全体のパワーを向上させることが眼目です。また、本来のリストラとは必要な筋肉の細胞を減少させることではなく、余分な脂肪を取り除き、より筋肉質の組織にすることです。そして、その細胞1つ1つを満たしているものは、モチベーションという名の行動エネルギーでなければなりません。

 某企業でも、一部の社員からは「残業手当はいらないから仕事をさせてほしい」という声が出ているそうです。それを経営陣が押さえ込んでいるのが実情です。遠からず、意欲的な社員の声は聞こえなくなることでしょう。

 塾業界でも事情は同じです。経営者として労基法は守らなければなりません。しかし、それを厳格に遵守していると、社員のモチベーションが落ちてしまうというパラドックスに陥ってしまうのも事実です。

 また、社員側の意識の変化もあります。かつて、塾業界に飛び込んでくる若者は、教育に偏狭的な?情熱を持っていました。生徒のためなら時間を無視して働くことに「否」はありません。そうした情熱に支えられて、業界は発展してきました。ところが、塾業界そのものが他業種と肩を並べるくらいまで成熟し、就職先として遜色ないレベルまで向上した今、若者の塾業界を見る目も標準化されています。製造、流通、食品…そうした一般企業と同じ視点で塾業界を見ることになります。素材としては、はるかに優秀な人材の確保が容易になった一方、「特に教育に対して情熱を持っているわけではない若者」が大挙して業界に流入しているとも言えるのです。彼らは、他業種と同じ労働条件を求めます。それは、労働者の権利ですから当然の主張です。しかし、新卒大学生の3年内離職率が4割、労働条件が格段に整備されてきたにも関わらず、教育業界では5割というデータを見ると、思わず考え込んでしまいます。専門家は、早期離職の原因を次のように分析しています。(離職率.comより)

 1つ目の理由は「激務」です。
会社によってはサービス残業当たり前で、毎日朝から終電までといった過酷な労働を強いるところも存在します。最初はやる気になっていた学生も休みのない環境で肉体的にも精神的にも疲労していき、さらに給料も時給換算するとアルバイト以下になってしまうこともあるとか…このような過酷な労働環境では仕事を続けていける人の方が少ないでしょう。

 2つ目の理由は「企業とのミスマッチ」です。
就職活動の時点で企業から会社の情報は得られるのですが、会社に入ってみないとわからないところもたくさんあります。会社の雰囲気であったり、職場の人間関係などは入社してみないとわかりません。これが原因で人間関係に疲れたりして仕事を続けれれない人が多く出てきます。離職の一番の原因はこの「人間関係」だと言われています。

 3つ目の理由は「仕事のミスマッチ」です。
これは大企業の総合職採用が背景にあります。総合職は実際に入社して配属されてみないとどのような仕事をしていくのか学生側からみると具体的なイメージがわきません。就職活動の時は営業職のつもりじゃなかったのに実際入ってみたら営業職だったなど、自分のやりたい仕事ができない場合が多くこれが離職の原因だと考えられます。最近では企業側も専門職採用でミスマッチを減らす努力をしていますが、文系はまだまだ総合職採用が多く、理系に比べて離職率が高いデータが出ています。

 これら3つの原因は全て正しいでしょう。ただ、根本的原因としては、若者のモチベーション低下がベースにあると考えます。以前も指摘した「自己責任症候群」の問題です。今の若者は「なぜ勉強するのか」という問いに対して例外なく「あなたのため」「あなたが将来、幸せに生きるため」と教えられて育ちました。しかし、「幸せに生きること」は目的ではなく、人として生まれた以上、誰もが持っている権利です。ただ、権利を主張するためには一方にある義務を果たさなければならない。それは、「世のため人のために生きること」です。

 かつて、日本が経済成長を続けていた時代、日本人は欧米諸国から「エコノミック・アニマル」だの「ウサギ小屋に住む働き蜂」だのと、動物同等に揶揄されてきました。しかし、彼らは少なくとも会社のため、家族のため…自分以外の者のために働いていたことに間違いはありません。当時はモチベーションなどという言葉はありませんでした。必要がなかったからです。モチベーションアップを図るまでもなく、日本人は労働意欲に満ち、子ども達は学習意欲に満ちていたのです。

 残念なことに、時代が変わってしまったのでしょう。若者は仕事とプライベートを分けて考え、責任の重い役職に昇格することを避ける「釣りバカ日誌症候群」にかかっています。与えられた業務はこなすが、それ以上のことはしないタコツボ症候群も蔓延しています。しかし、嘆いてばかりいても現状を変革することはできませんし、時代は変わっても日本人の本質である勤勉さは今も変わらないと信じています。事実、私が知っている多くの若い塾人は、昔と変わらぬ情熱を持つ前向きな人たちです。経営者、上司が上手に導くことで、彼らの情熱に水をさすことなく成長させることができると確信しています。

 先日、若手政治家(県会議員)の集会に参加しました。ある県議が言います。「これからの日本は、生活スタイルを見直して皆が少しずつ生活レベルを落とすことを我慢することですね」と。この政治家は社会の仕組みを全く理解していない。どこかの統制国家でない限り、我々一般人の生活レベルが10%ダウンするということは、社会全体のレベルが10%ダウンすることです。我々は耐えられます。毎日3度の食事と雨露を凌ぐ家があって、車もクーラーも冷蔵庫も洗濯機もある生活レベルの人は。ところが、今でもギリギリのところにいる人達、その人達はセーフティ・ネットからこぼれ落ちます。

 今、生活保護の予算は年間3兆円です。その半分以上が医療費です。(もちろん、生活保護を受けると医療費が全額国家負担になるという仕組みを悪用する問題はありますが)社会の生活レベルを落とすということは、こうしたセーフティ・ネットに、かろうじて引っ掛かっている人たちを振り落とすということです。日本が曲がりなりにも国民皆保険の仕組みを維持しているのも、生活保護制度を維持しているのも…豊かだからです。豊かだからこそ社会的弱者に手を差し伸べることができます。

 かつて(バブルの頃)、「物質文明ばかりを追い求めて日本人は本当に幸せになったのか」とか、「もっと精神的な豊かさを追い求めるべきだ」とか…近年だと「幸福度指数を追求する微笑の国に学ぶべきだ」とか…いわゆる「豊かさ」に対するアンチテーゼの主張が横行しました。こんな主張は、豊かな生活を享受している者だけに許される「奢り」そのものです。自分だけは豊かな安全地帯に身を置いているからこそ出来る主張です。生活のレベルを落としても構わないと主張することは、ギリギリの位置にいる人に「落ちなさい」と言うのと同じです。

 我々は豊かさを追い求めるべきです。そのことで社会的弱者も救うのです。だいたい、豊かになると精神的に荒廃するという理屈が分かりません。どちらも追求する…それが人として生まれた者の権利であり、義務です。

 塾も企業として豊かさ(利益)を追求することが社会的使命です。「自分はこれで満足しているから…」と、能力の出し惜しみをしたり成長追求を止めてしまったりするのは自己中心的な考え方です。

 ぜひ、筋肉質の社員を育て、筋肉質の組織を作り上げてください。

 
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