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塾・新時代のマーケティング論(91)
司馬遼太郎に学ぶ「この塾のかたち」

森智勝氏

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 どうしても多くの塾人に伝えたくて、他のコラムでも取り上げた素材ですが、重複を省みずに紹介します。

 私が所属する社団法人日本青少年育成協会が主催する「教育コーチング・フェスティバル」が11月4日に開催されます。私は当日のパネル・ディスカッションのコーディネータを担当するのですが、そのテーマ「グローバル社会を生きる人間形成」に頭を抱えました。今年は竹島・尖閣諸島を巡る近隣国との軋轢が続き、いわゆるグローバリズムの暗部が表面化しているからです。浅学の私には、こうした問題を語る術(すべ)を持ち合わせていません。そんな私に、とある賢人が大きなヒントを与えてくれました。日本を代表する歴史小説家である故司馬遼太郎氏が自著「この国のかたち」を紹介した文章です。

 「この国のかたち」について-司馬遼太郎-

 六部が三十余年、山や川、海などを巡って思わぬ異郷に辿り着いた時、浜辺で土地の者が取り囲み、それぞれに口をきく。「いずれより参られしか」…そんな狂言があったと仮定されたい。

 「日本…」と六部が言っても一向に通用せず、ついには様々に手まね身振りで説明し、挙句の果て、砂地に杖で大小の円を描く。さらには三角を描き、雲形を描き、山の如きもの、目の如きもの、心の臓に似たるもの、胃の腑かと思われるものを描くが、人々了解せず、「そのような国、今もありや」と聞く。すでに日落ち、海山を闇が浸す中で、六部悲しみのあまり、「あったればこそ、某(それがし)はそこから来まいた」

 しかしながら、あらためて問われてみればかえっておぼつかなく、さらに考えてみれば、日本がなくても19世紀までの世界史が成立するように思えてきた。

 となりの中国でさえ成立する。大きな接触と言えば13世紀に元寇というものがあったきりで、それも中国にとってはかすり傷程度であった。もし日本がなければ、中国に扇子だけは存在しない。が、存在の証明が日本で発明されたとされる扇子だけということではか細すぎる。

 ともかく、十九世紀までの日本がなくても、ヨーロッパ史は成立し、アメリカ合衆国史も成立する。ひねくれていえば、日本などなかったほうがよかったと、アメリカも中国も夜半、ひそかに思ったりすることがあるのではないか。しかしながら今後、日本のありようによっては、世界に日本が存在してよかったと思う時代がくるかもしれず、その未来の世の人たちの参考のために、とりあえず、六部が浜辺に描いたさまざまな形を書きとめておいた。それが、「この国のかたち」と思ってくださればありがたい。(1990年文芸春秋より)

 今、隣国の振る舞いに腹立たしく思っている日本人は多いことでしょう。報復策を講じるべきだと主張する人もいます。しかし、最も効果的な「報復」は司馬氏の言う「世界に日本が存在してよかったと思う時代」を作ることなのではないでしょうか。そして何より、未来の子ども達が「この国に生まれてよかった」と思える社会を作らなければなりません。司馬氏がこの文章を上程してから二十余年、我々はまだそんな日本を作り上げることに成功しているとは言い難いようです。だからこそ、眼前に存在する「未来の大人たち」に期待します。

 もしかしたら、教室で「領土問題」という難解な質問を受けることもあるでしょう。ぜひ、その時は司馬遼太郎氏の「思い」を紹介して、「君達が日本最高の歴史小説家に期待されていること」を教えてあげてください。そんなことでも、子ども達の学習意欲は高まるのだと信じています。

 さて、同じ命題が塾経営にも突きつけられています。

 あなたの塾は生徒に、保護者に、そして職員に「この塾が社会に存在してよかった」と思われていますでしょうか。そして、「この国の…」ならぬ「この塾のかたち」を明確に示していますでしょうか。土地の者が六部に発したように、「そのような塾、ありましたっけ…」と言われるようではダメなのです。ましてや、自らの「塾のかたち」を明示できないようでは…。

 もともと、「塾」というビジネスは対象となる顧客層が非常に狭いという特徴を持っています。また、我が子が対象学年になるまでは何の興味も示さず、対象学年を過ぎれば忘れ去られる存在です。多くの教室長が入塾面談で聞いたことがあるはずです。「ここに塾があることを最近まで知りませんでした…」

 人は、興味のアンテナを持っています。「今度、プリウスを買おう」と思うと、途端に街を走るプリウスが目に付き始めます。それまでもプリウスは走っていたのですが、アンテナが立っていないので情報をキャッチできていないのです。同様に、我が子が塾の対象学年になるまでは、塾の大きな看板も窓に貼ってあるカッティングシートの塾名も目に入りません。たとえ、その場で十年以上も塾を運営していたとしても…。

 ところが、「社会になくてはならない塾」の存在は、子どもの年齢に関わらず地域の人に認知されています。偶然目にした初見の塾と、以前から知っていた塾…子どもの通塾を考え始めた保護者が、どちらに信頼を置くかは言うまでもありません。

 「社会になくてはならない塾」を作るには、単なる学習指導を超えた「何か」が必要です。それは、崇高な理念を具現化するための絶え間ない実行の中に存在します。それはもちろん、授業以外のイベントの中にも存在しますが、本質は現場教師一人ひとりの中に宿っているものです。つまり、「この先生に会えてよかった」という思いの集積が、「この塾が存在してよかった」につながり、「社会になくてはならない塾」を作っていくのです。

 帰着するところ、経営者である「あなた」次第だということです。生徒を大切にしている塾は決まって、教師(職員)が大切にされています。学習指導に熱心な塾は決まって、職員研修に熱心です。言葉は悪いですが、(そんな塾はないとは思いますが…)教師を利益を産む道具のように考えていると、教師も生徒を、授業料を運んでくる存在として扱います。あなたの思いが職員たちを通して生徒に届くのですから当然のことです。

 ぜひ、自塾のかたちを明確にして、その中を「職員の思い」で一杯にしてください。すべては「あなたの思い」にかかっているのです。

 
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